カテゴリ
全体 ポッチ~のいた日々 2024年 春・夏 2023年~2024年冬 2023年 秋・冬 2023年 桜 2023年 春・夏 2022~23年 秋・冬 2022年 桜 2022 春・夏 2021~22年 秋・冬 2020~21年 秋・冬 2021年 京都の紅葉 2021年 桜 2021年 春・夏 2020年 夏 2020年 春 2020年 冬 2019年 冬 2019年 秋 2019年 夏 2019年 桜 2019年 春 2018年 冬 2018年 秋 2018年 夏 2018年 桜 2018年 春 2017年 秋 2017年 夏 2017年 桜 2017年 春 2017年 冬 2016年 秋 2016年 夏 2016年 桜 2016年 春 2016年 冬 2015 京都の紅葉 2015年 秋 2015年 夏 2015年 桜 2015年 春 2015年 冬 2014 京都の紅葉 2014年 桜 2014年 秋 2014年 春 2014 年 夏 2013年 秋 2014年 冬 2013年 桜 2013年 夏 2012年 秋 2013年 春 2013年 冬 2012年 京都の紅葉 2012年 夏 2012年 桜 2012年 春 2012年 冬 2011年 京都の紅葉 2011年 秋 2011年 夏 2011年 桜 2011年 冬 2011年 春 2010 京都の紅葉 2010年 秋 2010年 夏 2010 桜 2010年 春 2010年 冬 2009 京都の紅葉 2009 秋 2009年 夏 2009年 春 2009 桜 2009年 冬 2008 京都の紅葉 2008年 秋 2008年 夏 2008 京都の春 2008 桜 2008年 冬 2008年 春 2007年 秋 2007年 夏 2007年 桜 2007年 春 2007年 冬 2006京都の秋 2006年 秋 2006年 夏 2006年 桜 2006年 春 2006年 冬 石垣島・竹富島・西表島旅行 熊本・大分旅行 2005年 秋 ハワイ旅行 スペイン旅行 2017 富良野・美瑛 花旅 京都・黒部・立山歩き 利尻・礼文・美瑛・富良野の旅 トリノオリンピック 松江・足立美術館の旅 屋久島縄文杉の旅 大原・大塚・直島アート巡り 遷都1300年 奈良 大宰府・柳川の旅 飛騨高山・白川郷 鎌 倉 歩 き 東京、木曽路旅行 箱根・河口湖旅行 八戸公園 八甲田山の紅葉 迷ケ平、奥入瀬,蔦温泉の紅葉 もみじ山と浄仙寺の紅葉 津軽鉄道と芦野公園 洋ラン 青森西海岸を行く 種差海岸の花 青森・岩手の温泉 映画 & 舞台 八幡平 昭和ノスタルジー 田舎館村 田んぼアート 写真展「春滔々~さくら綴り~」 写真展「秋を謳う~紅葉綴り~」 松田梨子・わこ短歌 短歌集 『どんぐりの音』 ホームレス歌人公田耕一 川柳 帆 風 美 術 館 大道芸 雪竹太郎 階上岳の花 FIFAワールドカップ NHKドラマ「龍馬伝} カーリング チーム青森 イチロー&WBC&大谷 2005年 春 2005年 夏 未分類 以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... フォロー中のブログ
小肥りじいさんが見た風景 + F*s One S... 四季の歌 食いしん坊の日記 kihachi* a s... 風景屋 PHOTO ALBUM 山野草とハイキング 四季の香り 日々 一期一会 ・・やさしい花々・・ きららとんぼの俳句入門 F.lineのおいしいも... toriko 朝日奈の翁 今が一番 愛犬家の猫日記 心のままに 心はいつもそばにいてね 楽事 風と旅して 彷徨う時間 外部リンク
最新のコメント
検索
最新の記事
ブログジャンル
画像一覧
|
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ あの日のちょうどこの時間、友人たちと賑やかにお喋りをしていたのでした。 1週間前のあの瞬間の猛烈な出来事が繰り返し頭に浮かんでは消え、 消えては浮かび・・・。 家庭ゴミ収集車がやってこなくなりました。 バスが午後12時から4時までの間と午後7時以降、全面運休となりました。 デイケアに通うための送迎バスもストップし、 施設にいたお年よりは自宅待機へ。 ガソリンが不足し、暖房のための灯油が手に入らなくなったからです。 日本海まわりで太平洋側に行ける道路を見つけて、 灯油やガソリンを積んだトラックが走り始め、 一部分使用できるようになった港には タンカーも入ってくるようになったようですが、 震災に遭った全地域へ行き渡るまでにはまだまだ。 そんな折、 「被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~」 というツイッター記事を見つけました。 リンクしようとしたのですが不能のため、 ちょっと長くなりますが、そのままコピーして掲載します。 阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかもセンター試験の翌日だった。 遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVをつけると、阪神高速が崩壊していた。家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に残っている。 その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。 学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校はしていなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに行こうと話をしていた。 下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。 「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。 まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。 寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。 作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。 以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。 ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」 言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。 結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。 配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされていた。実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的に大きな差があったかというと、とてもそうとは言えなかった。 僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。 僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続させる事さえできなかった。 今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。 そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。 結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は違っても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃないかなと考えている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この文章を読み間違えないで下さいね。 主旨は、ボランティア自体を否定したものでは決してなく、 ましてや義捐金を送ればいいというものでもなく、 どうせならより効果的な参加方法を、冷静に模索して欲しいということですから。 冷たい雪の下からスノードロップが! これも自然の力・・・。
by pocchi-8
| 2011-03-18 14:36
| 2011年 春
|
Comments(12)
Commented
by
野の花
at 2011-03-18 22:30
x
多くの人が何か役に立ちたいと思いますよね、あの惨状を見たら。でも何も出来ない、食べるものが無いとのSOSw見て、うちには沢山あるのにと思っても持っていくすべがない。ヤットあちこちの行政が動き出して、東京都も収集施設に 必要とされる物資を運べば 都が調達したトラックで移送してくれるようになりました。もう明日食べるものも無いとツイートしていた人の所へまず届けて欲しい。迎える自治体もちゃんと機能しているかどうか怪しいので心配です。ポチーさん紹介のツイッターの方は、
いいことを言ってくれていますね。感激しました。
0
Commented
by
みゃあくんのおかあしゃん
at 2011-03-18 23:32
x
何もできなくて 申し訳なく思います。
しばらく様子を見て自分なりに判断したいと 思います。 雪の中のスノードロップ、けなげですね~。 この美しい花達がずっと美しく咲ける 地球を子孫に渡さなければいけないです。
Commented
by
ケイ4
at 2011-03-19 20:54
x
言い知れぬ不安は何だろう? 小松左京の「日本沈没」を思い出しました。 最後は、天皇を中心に他の島へ日本人が移住する話と記憶してます。(間違ってるかもしれない。) 首長を中心とした移住が始まっております。 「ミニ日本沈没」ですね。 安否確認→復旧→復興 神戸の時は安否確認にこんなに長い時間は掛らなかったと記憶しています。 だからまだ復旧の段階ではない。 さらに福島の原発問題が課題を複雑にしている。 「東北沈没」にならないように、小さな企業ですが「企業沈没」にならないように頑張ってます。 応援よろしくお願いします。
こころにしみますね。
まったくそのとうりだと思います。 こちらはいろいろと不自由さはあるものの、いつもの生活のもどりつつあります。 今はプロにしかできないことがたくさんあります。 出かけて行って、ジャマをしないことが一番の出来ることですね。 それにしても・・・ もっと国としての機能が出来ないものかと、歯がゆさを覚えます。
Commented
by
信州の大ファン
at 2011-03-20 08:38
x
僕の浅はかな経験談は示唆に富んでおり、参考になりました。
20日の朝日新聞に、八戸市の81歳になる漁師さんが、「自慢の漁船も流されちまったが、下ばかり向いてたって暗くなるばかりだから、とにかく明るく働くんだ。まあ何とかなるべなってな」という被災者の声が載っていました。こんな風に年を重ねたいものです。
Commented
by
南北
at 2011-03-20 18:53
x
社会人になったばかりの頃、ある先輩から「邪魔にならないだで一人前」と言われたことを思い出します。
「何ができるか」と同時に「如何に行うか」を考えなければ有難迷惑になるだけです。何もしないのがいい場合もあるのでは・・。 東松島の友人といまだに連絡が取れず、安否が気がかりです。
Commented
by
pocchi-8 at 2011-03-20 20:08
★野の花さま
昨日は一日中、エキサイトブログの接続が悪くてお返事を書けませんでした。モウシワケナイ。 今、なにが出来るかと言ったらわずかばかりの義援金を送るくらいかなぁ。 イチロー1億円、ヨン様7200万円、松井5000万円、 ユニクロ社長10億円・・・募金だけが支援ではないにしても、タイガーマスク連鎖寄付が起きたような現象が有名人の間にも起きればいいのにと思います。
Commented
by
pocchi-8 at 2011-03-20 20:12
★みゃあくんのおかあしゃんへ
返事が遅くなってゴメンナサイ。 毎日惨状ばかり見ているだけに、スノードップを庭で見つけた 時は嬉しかったです、「ああ、ここには自然の恵みが」と。 猛威と恵み・・・自然の持つ両面ですね。
Commented
by
pocchi-8 at 2011-03-20 20:21
★ケイさま
余震が南下していってるような気がするのですが・・・。 これが東京直下型地震に繋がったりしたら、と思うとゾッとしますね。今、小松左京が生きていたらなんと思うでしょう。 東電の右往左往ぶりには呆れてしまいますね。 「想定外だった」なんてことを言い訳にするような原発の造りだったということですね。 風評被害が心配です。 福島は地震、津波、放射能と3重苦・・・。
Commented
by
pocchi-8 at 2011-03-20 20:30
★fuuさま
思い出の衣類を役立てて欲しいと持っていったのに、 ぞんざいな扱いに「それはないでしょ!」と思ったfuuさんの 心情、ようくわかります。 相手の立場に立って・・・という想像力の欠如です。 お役所仕事といえばいいのか。 死者、行方不明2万人を超えました。 こんなことがあっていいものだろうか、今、頭をよぎるのは この言葉。
Commented
by
pocchi-8 at 2011-03-20 20:36
★信州の大ファンさま
「僕の浅はかな経験談」を書いた方は今、34,5歳でしょうか。神戸大震災で経験したことを胸の奥に、立派な大人になられたなぁと感服いたしました。 この未曾有の大災害から私達も大事な何かを学ばなければと 思います、亡くなられた大勢の犠牲者の方達のためにも。 81歳の漁師さんの言葉には説得力がありますねぇ。 この力が八戸を東北を日本を再建していくんですねぇ。
Commented
by
pocchi-8 at 2011-03-20 20:47
★南北さま
東松島も津波に襲われた地区ですよね? ご無事だといいのですが・・・。 夕方、80歳の祖母と16歳の孫が9日ぶりに救助されたニュースが飛び込んできました。 久々の朗報です。 助かった人と亡くなった人の差・・・運命という言葉しか思いつきません。
|
ファン申請 |
||